そんな中、ネットで注文していたレンズフードが手元に届いた。
今現在 Canon P に付けている 70年以上前の Summar にはレンズにコーティングが無くてフードは必需品なので何か無いかと色々探していたモノ、何せオリジナルはとんでもなく高いんで。また見た目にもグット引き締まるし。
そして、ついでに、これまた先日だけれども、仕事の打合せで訪れた上野で偶然発見した中古カメラ屋で購入した露出計を付けてみた。もともと露出計は予定にはなかったのだけれども、結構程度が良くて、精度は別としてメーターの針もそれなりに動いていたし、まあまあの値段だったので即購入。
程度の良いものにタイミングよく出くわすこともそんなにないだろうし、まして買いのがして後悔するのもいやなので・・・。
それにしてもデカクテカッコ悪デザインだなあ・・・。
で、今はこんな感じになっているのだけれど、これじゃあ鞄に放り込んで、みたいなこと出来無くなっちゃうし、あの F とたいして変わらないなあ。
でも何となくメカっぽくなたような、見方によってはカッコいいかも。
ライカらしくないところが良いし、まあこれがレンズ以外当時のオリジナルスタイルだし。
今も仕事机のPCの横に置いてあって、時々手にとってファインダーを覗いたりしてる。
カメラのファインダーを覗いてピントを合わせて、そしてシャッターを切った時、その対象となったモノとの対話みたいなものが自分の中でその時すでに完結しちゃっているように思う時がある。後でプリントされた写真じゃなくて。
ファインダーと言う四角い窓の中の世界は、アレコレとモノに向かっている時に、そのモノとの奥行きみたいなもの、そのあいだにある時間みたいなものとかを、切り取る窓なのかも。
これ、あくまでも手元にある古いフィルムカメラを手にした時の話だけれども。
デジカメはその時の感覚を即座に写し取ることの出来るすばらしい道具、ただシャッターを押しただけなのに、その写りといい本当にビックリすることがよくある。
まあこの古いカメラを手にする時というのは、もしかして、古いオートバイや車をいじる感覚と凄く似ているような気がするなあ・・・。
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